令和3年6月26日 第1138号
記念。今日6月26日は道の駅南国風良里オープン22周年記念日。続くコロナ禍で昨年に引き続き今年も7月18日に計画していた全施設での大々的な記念感謝祭は見送りに。 それでも各施設(土産品店ショップ風良里、カフェレスト風良里、久保田アイスクリームコーナー、JA高知県直売所風の市)毎にプレゼント企画等を考えているのでお楽しみに。 さてコロナの第4波もようやく落ち着く兆しを見せつつあるが、東京オリンピックの開催等により5波が到来しないかが心配。 ここからはワクチン接種との文字通り『競争』かと思うが、こんな時またぞろ出て来るのがデマや偽情報の類。曰く、コロナウイルスは存在しない!!?に始まって、ワクチンを接種すると人の遺伝子を組み換える、自閉症の原因になる等々。 科学的な根拠もない情報をよく信じられるものだとも思うが、そんな人も居るのネ。今は迅速な接種継続を祈念するのみです。
令和3年6月19日 第1137号
訴求。最近お土産のショップ風良里の売り場に出ることが増え、キャッシュレス決済の操作等を実地で練習中です。流通業の経験はあるので、以前を思い出しながら棚の陳列等も少しずつ見直しています。 そこでの課題が表題の訴求(そきゅう)力で、それは商品の魅力を消費者にどう伝えてゆくか?? のこと。例えば同じ商品でも普通に置くのと訴求力を意識した陳列とでは売上にも差が生じます。そこで参考になるのが、『女子わらわら系』のグループ。 近年粗製乱造の憾みも無くはなく、私らおぢさんにはどの娘が誰やらさっぱり判らん(興味もない)が、彼女達の『私を見て!! 感‐これが訴求力』は半端なく、目を引く意匠(衣装)、数で押す、立体感や奥行き、見た目や動きを揃えた表現等々、売り場ディスプレイの基本が詰まっています。 侮りがたいゾ!!。
令和3年6月12日 第1136号
認識。大熊猫‐ジャイアントパンダは同時に二つの事を考えられないので、ハチミツを与えて『うまいうまい』と舐めている隙にさっと子供のパンダを引き離して体重を測るのだそう。 先日書店で、猫は飼い主をどんな存在と認識しているか?という本があり、興味を引かれて見るとそのレベルは『赤ちゃんが親に対する』位で、人間が猫に対して抱く幻想?程じゃないとのこと。
我が家の猫は最近『コタローくぅん』と呼ぶとやって来たりするので、過剰な期待をしてしまう(親馬鹿?)のかも知れません。 我が身を顧みると、最近認識認知力が質量共に低下しているようで、いくつかする事が重なり一つすると次を忘れてたりと、これは『パンダ化』??。 認知機能の低下が『症』レベルまで行くと大変だが、なるまいと思って止められるものでもないので、気をつけねば。 ただ、政治家や官僚の答弁で『記憶や認識にない』というのは『何をかいわんや』デスネ。
令和3年6月5日 第1135号
経験。『愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ そして聖人は経験から悟る』とはドイツの名宰相ビスマルクの言葉とされているが…。 その大意は、愚かな人は自分の成功や失敗しか判断基準がなく、賢い人は他人の作って来た歴史から予め学ぶので成功に近く無駄な失敗をしにくい (さらに)聖人となると自らの経験からさえ悟りの境地に至ることができるとでも言うべきか。聖人、賢者は望むべくもないが、我々愚者凡人でも少なくとも同じ失敗を重ねないようにとは思います。
この道の駅を続ける経験の中で学んだ一つが『手段の目的化は避ける(べき)』。何かを始める時、まず最初に『何のために』という目的や目標があって手段が選ばれ、実行した上で検証し修正や再検討(場合により撤退も含む)を加えつつ進めるのが常道。 しかしながら、中には前提となる目的の根拠が曖昧で雲をつかむようなもので始まり、検証もなされないままいつの間にか『手段(何かをすること自体)が目的』にすり変わる事もあり、 そんな場合実害を被るのは常に現場(末端)。かつての太平洋戦争の結末や、近年の国産ジェット旅客機開発の顛末等から私達は何を学べるだろうか。 未だに失敗だらけの毎日だけれど、私も経験を重ねる中で上記のことは最低限学びました。