令和3年11月27日 第1160号
軽量。最近のアウトドア系の潮流としてULH(ウルトラライトハイキング)というのがあり、これは装備を軽量化し、無理なく移動することを目指すもの。元々はアメリカの何千キロにも及ぶロングトレイルを踏破するための概念だが、 ただ単に早く遠くまで行く手段としてでなく『自然をより身近に感じる』目的で取り入れ実践する日本のハイカーや登山者も増えているよう。 安全性との兼ね合いもあり、必要な物まで削ると生命の危険も伴うが、軽いのは確かに楽ですよネ。 今年は車での野外活動??が主だったので、装備を見直して足での登山も再開したいにゃ~。
令和3年11月20日 第1159号
注意。最近風良里の施設内を歩いていると、よく物に当たる。勝手知ったる何とやらで、『館内なら夜灯りを消してても口から超音波を出してぶつからずに歩ける』(コウモリか~!??) などと嘯いていたがどうやら今では怪しい。 先日はカフェレストのホールから厨房に入るところで何かに派手に躓き、転倒はしなかったものの後から気付くと手の甲から流血、それもどこにぶつけてそうなったのか不明という体たらく。 歳のせいとは言いながら、『爺いも歩けば物に当たる』と自嘲するのも詮無い事で、やはり相応に注意や用心はしないとネ。何事も程々が大切です。
令和3年11月13日 第1158号
機会。先日の休み、昼のニュースで在所(ざいしょ)隕石が1898(明治31)年の落下から約120年ぶりに里帰り中というのを知り、早速自転車でライドがてら見に行った。 アンパンマンミュージアムにほど近い香美市香北支所に展示中のそれは、分析のために切り取られた14gの欠片で、断面に石と鉄の部分が模様を描く、日本国内唯一の貴重な石鉄(せきてつ)隕石(パラサイト)。 同年2月1日の早朝4時頃現在の香美市香北町朴ノ木の農家の庭に落下し、後にプラネタリウムや天体望遠鏡で有名な五藤光学研究所の創始者で本県安芸市出身の五藤齊三氏が購入、東京大空襲に遭遇し焼け跡から掘り出される数奇な運命を辿ったもの。 朴の木地区はアンパンマンの原作者やなせたかし先生の生地でもあり、パン工場に星が飛び込んでアンパンマンが誕生したというエピソードにこの故事が活かされているのかも。宇宙のロマンを感じる良い機会となりました。
令和3年11月6日 第1157号
理由。かねてより『がぁでぇ言葉』は止めよう!!と主張しているが、それには強烈な原体験があって…。 学生運動の余燼も消えかけた1970年代末頃、御茶ノ水駅東口前で某派活動家の男性がワゴン車の上でマイクで演説中。 それが『我々はぁ、○○でぇ』という何の理論か不明だが独善的な主張を声高に叫ぶもので、『心底嫌だな』と思ったのが原点で、40年以上を経た今でもまざまざと思い出せる程の『嫌』。 時は流れて、最近ではこの『がぁでぇ言葉』に世間が侵食されており、特に若い女性や中高生ではそうでない人を探すのが難しい位。 このような言葉遣いから『幼稚さとそれへの無自覚』を感じるのは歳のせい?。逆に言うと『何々が、何々で』と普通に話すだけで賢く成熟した人に見えるというのは簡単な世の中なのかも。 責任ある立場の大人はこんな話し方はしないと思っていたら、先日のTVで仰天。ある全国的組織のトップが『がぁでぇ言葉』!!で、凋落や弱体化の理由が判った気が。組織の皆様、お気の毒です。お察しいたします。