令和2年12月26日 第1112号
接近。歳末です。毎年テーマパークのアトラクションのように『だ~っと』なだれ込んで行く年の暮れから年始の流れのまだ序章。と言いながらもう来週の土曜には新年の仕事始め。日本の年末年始は慌ただしい、、のは例年ですが、今回ばかりは終息の兆しも見えないコロナ禍の中でいつもと違ったものになるのかも。来る令和3(2021)年は今年よりは良い年になりますように。
さて、地球上の出来事に関わらず天体は動いています。今月半ばのふたご座流星群は期待外れで、窓を開けて30分位星空を眺めていたが全く流れずあきらめて就寝。別件でリベンジじゃないが、21日の木星と土星の大接近は気合を入れて観測。お誂え向きに絶好の晴天で、日没後南西の空の低いところに明るい星。双眼鏡で見ると大きな木星の上1時の方向に土星がはっきりと。肉眼では老眼と近視乱視で元の離角も不明。けれど約400年ぶりの大接近、見られて良かった!!。
令和2年12月19日 第1111号
おかげさまで、本紙週刊風良里も通巻第1,111号。週7日として7,777日と、『ぞろ目は嫌い』とか言いながらも何だか嬉しく、ここまで続けられた事に感謝の気持ちでいっぱいです。
転題、雲。←をつかむような話、と言えば『物事があまりにも不明瞭ではっきりしない様を意味する表現』で現実味や具体性に欠ける絵空事や荒唐無稽な話。世の中にはこのような話が結構あり、 夢や理想や希望を追う時ついこうした『うまい話』に乗ってしまいがち。『〇〇商法』等の被害は跡を絶たず、騙す方が上手な(悪いのは確か)のか、される方が信じやすく善良すぎるのか、線引きが微妙。 ここで鍵を握るのが『説得力』で、持つ人により正義にも悪にもなるいわば『鉄人28号のリモコン』(古いネタでごめん!!)的な存在。今やシステム化されて『商売』になっている『雲をつかむ話』もあるので、巧みな話術やまことしやかなデータなどにゆめ騙されませんように。
令和2年12月12日 第1110号
師走。何だか暮れの実感も湧かないままに12月も中旬に。今年は忘年会もしないところが多く、当社(株)道の駅南国も御多分に漏れずなし。恒例の行事がないと生活のリズムも掴みにくいですよね。 コロナの感染も全国的に拡大し、第3波が一番の大波に。今迄それほど多くなかった高知県の感染者数もこのところ急増し危機が身近に。 けれども、経済活動ももう止められないので、気をつけながら営業は続ける必要があります。 年度前半の閑散でなまった体も10、11月は人の動きが出『リハビリ』も進んで来たので、気力も充実させて新しい年を迎えなきゃね。
令和2年12月5日 第1109号
不付。つかぬ話とは申しますが、本コラム先週号は標題と内容が全く『つかぬまま』。お詫びしつつ、改めて本題の『中庸』について。 北欧のデンマークで使われ、近年よく話題に上る『Hyggeヒュッゲ』という概念、他言語では置き換えられない同国の個性を形成し、あえて言えば『温かで居心地が良く快適な雰囲気や空間や時間』のような言葉。 こうした時間の過ごし方や心の持ちようが現代の日本人には欠けているように思われ、憧れも込めて興味を持たれているのでは。 先頃この『ヒュッゲ』に関する本を読んでいると、面白い記述が。良い事ずくめに思われるこの ライフスタイル、政治的には左派と右派の双方から批判があるそう。確かに左派からはブルジョワ的、右派からは怠け者と見られるのかも。けれども、両極端の立場から等しく批判されるのは、 ある意味『究極の中庸』と言えるのでは。『かくあらねばならない』という教義(ドグマ)から離れて『ゆるくてもいんじゃな~い??』的な、偏りのないこのような在り方は貴重と思うが如何??